「若いうちの苦労は買ってでもしろ」とは?
昔からよく聞く「若いうちの苦労は買ってでもしろ」という言葉。
若い頃にいろいろな経験や苦労をしておくと、将来の自分のためになる、という意味で使われています。
でも、私はこの言葉を聞くたびに思うんです。
本当に苦労って、わざわざ買ってまでするものなの?笑
苦労すれば、必ず幸せになれるのでしょうか?
今回は、貧しい家庭で育った私自身の経験をもとに、この言葉について考えてみたいと思います。
貧乏な家庭で育った
私は裕福な家庭とは無縁の環境で育ちました。
幼少期は、東京の北区で暮らし、今思うとそこは経済格差の大きな場所でした。
しかし、子どもの頃は、お金の価値もよく分かりませんし
周りと比べることもありませんでした。
そのため、自分が貧しいという感覚はほとんどありませんでした。
もちろん、欲しい物を何でも買ってもらえる環境ではありませんでしたが、
それが当たり前だったので特に不満もなかったのです。
しかし、成長するにつれて行動範囲も広がり、友達の家に遊びに行くようになり、
生活形態や持ち物などテレビや雑誌を見るようになり、情報や知識も広がっていきました。
その頃から徐々に、自分の家庭と他の家庭との違いに気付くようになります。
友達は家族旅行に行く。
誕生日には欲しい物を買ってもらう。
新しいゲーム機を持っている。
外食にもよく行く。
そんな話を聞くたびに、絶対的格差を感じるようになりました。
そもそも「若いうち」とはいつなのか?
ここで最初の疑問があります。
若いうちの苦労とは、一体いつのことなのでしょうか?
幼少期でしょうか?
学生時代でしょうか?
社会人になってからでしょうか?
この言葉は少し曖昧だと感じています。
もし幼少期の苦労を指すのであれば、自分で選ぶことは
できませんし、生まれる家庭は選べないからです。
貧しい家庭に生まれることもあれば、裕福な家庭に生まれることもあります。
子どもにとって、それは運のようなものです。
一方で、社会人になってからの苦労はある程度自分で選べます。
難しい仕事に挑戦する。
資格取得の勉強をする。
起業する。
副業を始める。
こうした苦労(自己投資)は未来のために自ら選ぶことができます。
そのため「若いうちの苦労は買ってでもしろ」という言葉は、
本来は自分で選べる挑戦や努力を指しているのではないだろうかと考えます。
少なくとも、生まれながらの苦労を美化する言葉ではないはずです。
苦労は本当に報われるのか?
次に考えたいのはこれです。
苦労は報われるのでしょうか?
結論から言うと、私は「必ずしも報われるわけではない」と思っています。
世の中には、一生懸命頑張っても報われない人がいます。
反対に、成功した方の中には大きな苦労をせずに
成功する人もいます。←(こっちの方が多い気がする笑)
実際に現実社会はそれほど単純ではありません。
もし苦労した人が全員成功するなら、
この世に失敗する人はいないはずですが
現実は違いますよね?
だから私は、「苦労=成功」ではないと思っています。
「苦労=努力」でもない気もします。
ただし、「苦労から得られる経験」には大きな価値があると思っています。
お金がない苦労。
人間関係の苦労。
仕事の苦労。
子育ての苦労。
これらを経験すると、人の気持ちが分かるようになり、
問題が起きた時にも冷静に対応できるようになります。
何より、「なんとかなる」という感覚が身につきます。
苦労そのものが報われるのではなく、苦労の中で身につけた力が人生を支えてくれるのだと思います。
苦労した結果、私はどうなったのか
では、実際に私はどうなったかと言うと
正直に言えば、大金持ちにはなっていません(笑)
宝くじが当たったわけでもなく、
誰もが知る成功者になったわけでもありません。
それでも、苦労したことが無駄だったとは思いません。
なぜなら、レベル1から始まった生活水準は上がる道しかないから(笑)
これは私にとって大きな財産だと思っています。
高級レストランでなくても平気。
豪華なホテルでなくても眠れる。
ブランド品がなくても困らない。
贅沢が当たり前ではないので、少しの幸せでも十分に満足できます。
そして何より、
「どこでも生きていける!」
という自信があります。
仕事が変わっても何とかなる。
収入が減っても工夫できる。
生活環境が変わっても適応できる。
若い頃から不自由な生活を経験してきたからこそ、そう思えるのです。
裕福な人を否定したいわけではない
ここで誤解してほしくないことがあります。
裕福な家庭で育った人が弱いと言いたいわけではありません。
私がこれまで出会った裕福な方々は、皆さん感じのよい人ばかりでした。
皆さんなぜか、なぞの余裕がありました(笑)
私が野犬なら、富裕層の方は室内で飼われたプードルみたいな品があります。
どんなに着飾ってもバレてしまう取り戻せない劣等感。
ただ、裕福な人には裕福な人の苦労があると思います。
お金があるから悩みがないわけじゃないし、
お金があっても解決できない悩みがあるとしたら...深い絶望感
人それぞれ苦労や悩みは違うと思います。
私自身の経験として言えるのは、貧乏だったからこそ身についた力も確かにあるということです。
それは学校では教えてくれません。
資格にもなりません。
履歴書にも書けません。
でも人生を生き抜く力として、今の私を支えてくれています。
今の私が思うこと
約50年間生きてきて思うこと
若い頃の苦労が全て報われたかと言われれば、そうではありません。
理不尽なこともありました。
嫌な思いもたくさんしました。
できれば経験したくなかったこともあります。
それでも今振り返ると、その経験が今の自分を作っています。
だから私は、
「苦労は買ってでもしろ」ではなく、
「経験は買ってでもしろ」の方がしっくりきます。
価値観も多様な昨今では、
苦労そのものを求める必要はありません。
しかし、新しいことへの挑戦や経験は、必ず人生の財産になります。
そして私自身が今一番感じていることは、
「生活水準が低いから、どこでも生きていける自信がある」
ということです(笑)
これは決して悲観的な話ではなく
むしろ私にとっては強みです。
お金がなくても工夫できる。
環境が変わっても対応できる。
困難があっても何とかなると思える。
そんな自信を持てるようになったのは、若い頃の経験があったからかもしれません。
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だから今日も私は、自分の人生は悪くなかったと思いながら生きています。
若いうちの苦労が本当に必要かどうかは人それぞれです。
ただ一つ言えるのは、どんな経験も無駄になるとは限らないということ。
そして、その経験をどう活かすかは自分次第なのだと思います。


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